インターネット実務検定協会 インターネット実務検定協会ロゴ
ホームに戻る 協会の概要 Q&A コラム リンク お問い合わせ サイトマップ 資料請求
 
   
  パソネタ3分クッキング  
   
     
 
第2回 ネットで著作権侵害
 

 

◎著作権とは?
ネット上で著作権が問題になるケースが増えています。

著作権というのは、簡単に言えば「誰かが苦労して作ったものは、それが簡単にコピーできるものでも、本人の許可なしに勝手にコピーしてはいけない」ということです。著作権は、その人が作ったもののほとんど全部に自然に発生しますが、誰が作っても同じになる、という「個性」がないものに関しては、著作権が発生しないこともあります。

◎著作権侵害が問題になった例
たとえば、実例としてあったのは、子供向けキャラクタのファンのサイトを立ち上げたところ、そのキャラクタの写真や絵は、たとえ子供が模写したものでも使ってはいけない、というようにその著作権を持つ出版社からクレームがついた例がありました。

さすがに、その会社が売っているキャラクタ商品のTシャツを着た子供の写真が掲載されている場合、これが「著作権法違反」に問われることはありませんが、ファンとしてはなんだかファンでいるのもいやになるようなことではあります。

◎ネットでの通常のリンクは著作権法違反ではない
また、最近、某新聞社の著作権管理関係の部署から「うちの記事へのリンクは著作権法違反である可能性がある」というメールがあちこちのサイトに送られた、という事件もありました。もっとも、実際のところこれは著作権法違反ではない、という意見も非常に多くありました。

これについて、日本の政府の公式見解ともとれる意見として注目されるのは、社団法人著作権情報センターWebにある文言です。このホームページのQ&Aによれば、単なるリンクは著作権侵害ではない、ということがはっきり書かれています。

また、新聞記事の丸写しなどは明らかに問題になりますが、部分の「引用」であれば、出展を明らかにすることによって「著作権の侵害とはならない」ということも法律上保証されています。
公的に発表されたものは、その部分の引用は、その引用元が明らかになっている限りにおいては、著作権侵害とは見なされません。たとえば、新聞記事の丸写しは著作権侵害ですが、「〜新聞の〜日の記事によると〜ということだそうである」のような「引用」は、著作権侵害とは見なされません。

◎リンクは大丈夫といっても
しかしながら、リンクは著作権侵害ではないから大丈夫、といっても、たとえばHTMLでは、

<a href="http://(どこか他のサイトのURLの画像のみのURL)>

</a>

という書き方をすることによって、引用された元のサイトには黙って、その画像があたかも自分のサイトの中にあるものとして「表現」「引用」することができてしまいます。

こういうやり方は、この画面を見る人にとって、引用されたものかどうかわからない表現になってしまうため、違法と判断される可能性が非常に高いものになります。こういう使い方で「引用」を行う場合は、引用もとの情報も同時に付け加えておく必要がある、ということが最低限の常識でしょう。また、特に差し支えがないのであれば、これに加えて引用元に引用の許可をいただく、ということもできれば必要と思います(強制はできないことですが)。

◎著作権はいつできたか?
現在の日本の著作権法の元は、明治32年に遡ります。

このころはもちろんネットはなかったので、施行後、この法律は非常によく働いたと言えるでしょう。しかしながら、100年もたつと、この法律自身が非常に古いものに見えてきます。しかも、この100年のあいだに、印刷物や音楽といったものはより多く売って、より多くの利益がそこから得ることができるように、「商品」として「大量生産(=コピーし、広く頒布する)」「メディア」に乗って多く流通することになりました。

当然のことですが、この「メディア」の生産手段にはかつては大変な投資が必要でした。また、これを流通させることにもまた多くの投資が必要でしたから、一般人が手軽にできることではありませんでした。

◎インターネットの時代の著作権とは?
しかし、インターネットが急速に普及し、それにつながる、非常に高性能で多機能なパソコンも多く流通することによって、「生産手段」にも「流通手段」にも、あまり多くの投資が必要でなくなり、個人の手の届く範囲になった、というのがここ数年の出来事です。

すでに、従来の著作権法がベースとしている「社会状況」がいっぺんに変わってしまったのです。いま、ネット上の諸問題のうち、「著作権」があちこちで問題となっていますが、その問題のされ方はほとんどが「著作権法違反事例をどうするか?」ということばかりです。これはここ100年、メディアの生産手段と流通手段を独占してきたごく一部の企業にとって死活問題だからです。

しかしながら、世の中とともに法律も変えていき、さらに、厳しい言い方をすれば、存続の意味のない商売は廃れるべきでもあります。法律は結局人間がより多くの人たちの必要に応じて作ったものであり、ごく一部の人たちのものではありません。

ですから、「いかに(古い)法律に社会をあわせるか」を議題にするのではなく「どのように法律を社会にあわせていくか」を議論しないことには、おそらくこの問題は解決を見ないことでしょう。しかしながら、後者のような議論がまだあまりにも少ない、ということは、私たちがこれから考えていかなければならない課題の1つであると私は思います。

◎音楽は生で聴く
よく考えれば、CDとかネットで流通している「音楽」は、「コピー」であり「(本物ではない)まがい物」に過ぎません。本物はやはり「ライブ」に決まっています。そして、ライブは、入場料やそこに行くために自分の仕事の時間を犠牲にすることや、交通費なども含めて、非常に高いコストが要求されます。そのコストと引き替えに、私たちはそこでCDなどでは得られない「豊かなひととき」を過ごすのです。

文筆も、本来であれば、筆者の生の原稿を見るほうが、より筆者の気持ちがわかります。インクのかすれ具合、紙の質、などなど、受け取る情報量も非常に豊富になります。しかしながら、私たちは通常は、よほどのお金持ちでない限り、これらの「ほんものの芸術」に払うべき「高いコスト」に耐えられません。ですからコストの安い「まがいもの」でガマンするクセがついています。これが普通だ、と思っています。そして、ここに「大量生産」「大量流通」「大量消費」の時代が重なり、コストの安い「まがい物」が、あたかも本物のように思いこんでいるに過ぎません。

著作権というのは、基本的に「まがい物」を商売として成立させるためにできたものかも知れないのです。そう考えると、このところ問題になっているネットと著作権をめぐるさまざまな動きや発言、そして事件は、結局「本当に価値のあるものはコストが非常に高くなり、まがい物は限りなくコストが安くなる」という当たり前な市場原理が働いているに過ぎない、ということかも知れません。ただしその変化があまりに急激であるために、社会がその動きについていけなくなっている、と言うことなのだと思います。

私は以前、「ネットは社会における触媒のようなもの」、つまり、社会の変化を促進させるもの、ということを某所で言ったことがあります。ネットという存在は変化そのものに見えますが、実はそうではなく、あくまで「脇役」として「変化の速度を上げる道具」なのだと思います。そして「著作権」をめぐるこの一連の出来事は、その1つの現れなのだと思っています。